涼宮ハルヒにハマっていない。
2008年02月17日15:02
今さら、涼宮ハルヒの憂鬱を見たよ。 という話を先日しておりましたが、誰も巻き添えにできないまま、とりあえずマンガ5冊を買って読んだ後、今までのアニメのDVD8巻をレンタルして全て見ました。
そこでようやく気づいたのですが、涼宮ハルヒって、小説が元々なのですね。
小説から読むべきでした。

なんだか、触れれば触れるほど、切ない気持ちになる話でした。

おそらく涼宮ハルヒを一番楽しむ方法は、小説を全て読んで、アニメを見て、マンガを読むという流れが一番幸せだと思います。
事情がよく分っていない私はマンガから読んでしまいました。
小説は読んでいません。読むかもしれませんが、読まないかもしれません。


涼宮ハルヒのアニメを見て、あまりにもザックリまとめてしまいますが、アニメの1〜3巻を見ればほとんどOKだと思いました。
この3巻を見てしまうと、もう既に終わってしまったような感じが漂います。
ある意味、この1〜3巻を見れば、涼宮ハルヒを知っている、と言えるかもしれません。この3巻で語られている事が、たぶん涼宮ハルヒの話の本筋なのです。
言ってみれば、他の話は本筋に付随した短編集みたいなものかもしれません。



さて、本題に入りたいと思います。
涼宮ハルヒは、「高校」という枠があるからこそ輝いているのだと思います。

社会に出ると、自己中心的・傍若無人・猪突猛進・唯我独尊の涼宮ハルヒなみのあつかましいキャラはゴロゴロいます。
なぜか輝いていません。うっとうしいだけです。


ドラえもんに出てくるジャイアンのような「お前のモノはオレのモノ」的な強引さ。
現代の日本には、わりとあふれているような気もします。

言わば女性版ジャイアン的な言動をする美少女キャラというのが涼宮ハルヒの一面を形成しているのです。
(もちろん全てではありませんが。)


高校を出てしまえば、現代日本におけるうっとうしい普通のキャラなのです。


つまり、涼宮ハルヒの物語は、高校で終わらなければならない、そうしなければ涼宮ハルヒのキャラは埋もれてしまう。ということを言いたいわけです。



マンガを読めば読むほど、アニメを見れば見るほど、確実に高校時代の終わりは近づいてきます。
涼宮ハルヒたちの過ごす時間が楽しい時間であればあるほど、その楽しい時間の終わりが、強烈に感じられてくるのです。

そういった意味で、触れれば触れるほど、切ない気持ちになる話でした。



涼宮ハルヒの物語の中で強烈に気になっている事が二つあります。

ひとつは、孤島症候群・後編のキョンの毛の生えたほくろの描写。
何を意味するのか、無茶苦茶、気になっています。


もうひとつは、物語の中で何度も語られている、全てが始まった「3年前の出来事」についてです。

物語のラストまで語られる事はないのかもしれません。


ただ、ひとつだけ嫌なのは、病気になって余命わずかとなった涼宮ハルヒが3年前にハルヒの世界を創造した、とかいうありがちな設定です。
キョンが病弱で余命わずかになり、ハルヒがキョンを助けたいと思って世界を創ったとかいうのも、御免こうむりたい。

そういうのは無しで、涼宮ハルヒには最後まで輝いていてほしいです。


長門有希20080217


私は、長門有希萌えですが。





この記事にコメントする

注:livedoorBlogの仕様により、コメントは400字以内となっております。
コメントが長くなりそうな場合は、
メモ帳にコピペなどされておかれることをお勧めいたします。

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔   
 
 
 
トラックバックURL