[短編小説]上司の言葉
2008年06月17日11:41
その頃の僕は、日々仕事に追われていた。
会社で一番働きものの上司に、見込まれたのか気に入られたのかわからないが、常に行動を共にし、とても無理だと思うプロジェクトを次々にこなしていた。
僕は上司の後ろに付いて、雑用をしていただけだが。

かと言ってその上司、「増田さん」を、僕は大好きだったというわけではない。
増田さんは、いわゆる気分屋だった。



機嫌が良い時は、そこら辺にいるオヤジだった。
周囲を凍りつかせるオヤジギャグを連発し、笑いを待つ間をとる。僕をはじめとした会社の人間は半ば引きつって笑うしかなかったが、たまに本当に面白い事をいうこともあった。増田さんの機嫌の良い時には、増田さんのデスクの周りでは、質はどうあれ、よく笑いが起こっていた。

だが、ミスでもやらかそうものなら大変だった。
たぶん、会社の多くの人間は、生涯で一番怒られた人は増田さんだったろう。怒鳴り散らしながら、倒れそうになるまで怒られる。増田さんに怒られ、女性社員が泣くのもしばしばだったが、増田さんが怒るのは正当な理由によるものだったので、誰も止めようが無かった。

そういう増田さんだったが、社内では社員に好かれていた。
怒った後は優しいオジサンで、周囲に気を配り、怒った社員にも分け隔てなく細かいところで声を掛け、アドバイスをしたりする。
そして何より、増田さんが社内で一番頑張っていること、仕事をしている事を社員の誰もが知っていたのだ。


増田さんに一番怒られたのは、もちろん時間を一番共有していた僕だろう。
どちらかと言うとヘボい僕は、よくミスをやらかして増田さんにこってりと絞られた。絞られながら、仕事をこなし、毎日深夜に帰宅し、また翌日も働いた。帰宅したとたんに呼び出されることも度々あった。労働基準法なんて言葉は当時の僕とは無縁だった。


増田さんの下で働いていた頃、あれから十数年が経つ。
人間、嫌な事は忘れるように出来ているのか、増田さんに怒られた事はほとんど忘れてしまった。大きなプロジェクト、そのほとんどの内容も今はもう覚えていない。


だけど、増田さんの言葉で忘れる事が出来ない言葉がある。
今も時々思い出す。
なぜかその時のことは、忘れる事が出来ない。


あの日、いつものように終電もとっくに終わって、僕はほとんど放心状態で家に帰る気力も無く、休憩室でタバコを吸っていた。増田さんも珍しく疲れたような顔つきでテーブルを挟んで休憩室の椅子に深く体を預けていた。

「疲れたか、山田君。」

「はい、さすがに。」と僕。

「そうか・・・」

増田さんは笑みを浮かべ、ふっーと息を吐いた。
増田さんはタバコは吸わない。

そして、再び、話す。

「山田君は、結婚はまだしないのか。」


今の状態で彼女とかできるわけも無い、結婚とか夢のまた夢だ。そういうことは言う気力も無く、いえ、予定はありません、と僕は答えた。

増田さんは驚いた事に結婚して、子供も二人いる。
確かもう、高校生とか、そんな年齢のお子さんだ。
一体いつ家に帰っているのだろう。よく結婚生活が続くものだと、他の社員に増田さんのお子さんの事を聞いた時、思った事がある。


その時なんでそういう質問をしたのかわからない、気づいたら、その質問をしていた。

「増田さんのお子さんも、この仕事やるんですか。」


増田さんは、ふふっと笑って、静かに、こう答えた。

「うちのせがれはダメみたいだ。山田君のように優秀じゃない。大学進学も危ないよ。たぶん、この仕事はやらないだろう。」

そうですか、と僕は言った。
不意に増田さんに優秀と言われたからでは無く、自分がなぜその質問をしたのかに少し戸惑いながら。

どのくらい沈黙があっただろう。
休憩室には僕のタバコの煙が立ち込めていた。


「山田君。」

増田さんがしばらくして僕の目を見て言った。

「子供はね、小さい頃が一番いい。
そうだな、幼稚園とか、その頃かなあ。
何も言わなくても『お父さん』って手を差し出して手をつないでくれる、そんな時期が一番いいよ。」

増田さんは穏やかな表情だった。
そして、僕の心を覗き込むようなまなざしで、こう言った。



「山田君。これだけは覚えておいて欲しい。

そして、君が結婚して子供ができた時、思い出してください。

子供と遊んであげてるんじゃないんですよ。



子供に遊んでもらってるんですよ。」





僕はそれから半年後、オヤジが体調を崩して家業を続けられなくなったので、やむなく田舎に戻って家業を継いだ。

あれから十数年経った今も、時々、僕の最後の上司の言葉を思い出す。

その時の、優しい表情と一緒に。







この記事へのコメント
もあろま
もあろま
2008年06月18日 00:35
5

こんばんは^^
こころにジ〜ン♪
まじで、afiliateさん、出版の話とか来てませんか?

昔、小説の題名も前後のつながりも忘れちゃったのですが、「子供には3歳までに一生分の親孝行をしてもらっている。」っていう件りを今でも覚えています。

>子供に遊んでもらってるんですよ。
⇒アナに遊んでもらってるんですよ。
なんて^^

afiliate
どおも〜もあろまさま♪
マジで
な〜んにも来てませんよ(笑)。
こういうのを書いた後って、すんごく反応が気になります。自分では判断できないですよね、いいのやら、悪いのやら。たぶん、もあろまさまのコメントがなければもう書いてなかったかも(笑)。またネタが思い浮かんだら懲りずに書きますね。

「一生分の親孝行」もいい話です。なんとなく憶えがあるような気もする、いい言葉ですね。

アナさまとの時間もアナさまがくれた宝物なんでしょうね。私もいろんな人や周りのものに当てはめて時間を大事に出来ればいいなと思います。もちろん、もあろまさまにも遊んでもらってると思っています。サンクスです。


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